啓発(好かれなくていい)
敢えて「人から好かれなくて」いいとね。 この言葉で皆さんから多くのメールを頂きました、いい言葉ですとか、出来ないですとか、憧れますとか、やろうとしていますが中々・・・とか、沢山の言葉が来ています。 今回この言葉を取り上げて書きました。
住職は笑って言った「スポーツをやって頭で勝とうとすると、嫌な人間で」嫌われるぞ、と言います。 そうですよね、人が出来ない事をやろうとしたら、嫌な奴、少しぐらい出来るからと言って・・・、と相手から思われます。 それはその人にしか出来ない事なんだけど、周りはそういうふうに取らないですよね。 己の才能よりも、秀でた人間を悪くいう人間が多すぎるからです。
もう少し勉強するべきだと、私は思います。 幾つになっても勉強、書物漁りや、読書は忘れないでやるべきです。
一も長ずる所之れなきものは、決して御用ひ遊ばさる間敷く存じ奉り候 一つとして、抜きん出ているものがない物は、認めるべきでない。
この上記の言葉は、人に「嫌われてもいい」と、己がやってる目標が分かっている人間は、一つの事に抜きんでていると思われ、他の事でも才能や、能力を発揮できると考え認められるのです。
他の事で、抜きんでている人間は、己自身に「自信」を持っているから、努力に努力を重ね、人として魅力が在ると認めるべきだと、分かる人は言います。 一つに抜きんでた人間は、他をも極める事ができるのです。
自分の目標を持って「意思」を決める、その意思が「正論」で突き進むと決めたならば、叶えられる ように突き進んで行く事だと思います。 目標が決まれば自ずとやる気も出てきて、どんな困難な事でも達成できると思われるからです。
本人が「嫌われてもいい」と、決めたならいいけれど、ただ自分は「頭が良いとか、人間性が良いとか、そんじょそこらの人間には負けない」と、高を括って過信する人間は、使えないかもね。
上記の文章は、人から「好かれなくていい」と、いうふうに書いてあるのは、嫌われても良いという事だから、性根の据えた(ブレない考えを持って日々を過ごす)人生になるのです。
人から「嫌われる事は、敢えてしない」でも正論を発して嫌われるなら、それも仕方がない。 何でもそう、人の言う事を聞かない人間は、周りの人間から「嫌われる」それでも正論で人生を全うするのか、と。
人に嫌われた人間は「自分の目標」を達成出来たかも、いつも「周りの人から嫌われていると感じているから」このようにするべきだと考えて行動し、分かって人生を進むからです。
逆に成功したかも、煩わしい人と会わなくていいし、好きな時間に好きな事が出来て、良かったかな。 勘違いのないように、嫌われるのと「悪口」は違うのよ、悪口は相手に聞こえれば「差別」だよ。 覚悟して、喋らないとね、大怪我をするよ。
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