啓発(心はこうすれば休まる)
昔、家のお袋が綺麗な着物を着て出かけようとした時に、家の住職に声をかけられ「どうした、ソワソワして」と、言われていた、私は黙って住職の話を聞いていた。
どんなに良い着物や良い服を着ていても「着ている本人が自信が」無いなら良いモノを着ている意味がない。
良いか、要は着ている人間の「姿勢」だ、良いモノ着ているから、姿勢が良いのか、姿勢が良いから良いモノに見えるのか、それはその人間の行動、姿勢だ。
いつものお前でいれば良い、良い着物を着たから、かっこよく見せようとか、おじょ品に見せようとか、良いところのお嬢様に見てもらいたいとか考え行動すると、普段のお母でなくなる、いつものお母でいてくれれば、皆んなが「住職の奥さん」と気さくに声をかけてくれる。
きょうのお母では皆んなから「声が、かからん」と、住職は言った。
きょうのお母は「外見に気を取られている」から気が張り詰めている、それでは良い「運気」が寄って来ないし、逃げていく、そんなお母には、誰も寄り付かない。
皆さんにすまないと言う気持ちがありありと見える、それは長い期間一緒にいると、その期間に感じるモノがある、それを「愛」と言う、その愛が見えるからこそ、きょうのお母の姿勢が見えた。
お母は人に好かれる人だから、口が良く動く、頭も回るし、体が良く動くし、良く働く。
気配りが出来、目配りが出来、真から人の事を好きになり、人に対して愛情を注げる人だから、申し訳ないと言う気持ちが、有り有りと伝わった。
私に向かって住職は
あそこにいるおじさんが、お母に「文句を言った」そうしたら、お母は笑顔で「それは良い事を教わった、有難う」と言って、そのお礼に、頂いていた「鰹」を1本持って帰らせたと、言っていた。
あのおじさんが「住職よ」と、話に来られたので、言ってやった「それは、お前にしたら文句だろうが 、お母が知らない事を、お前に教えて貰ったと思っている」お前に対してのお礼だから貰っておけと、言ったら、本当に恐縮して帰って行った、それがお母の良いところだな。
人から、文句を言われたら、素直に「有難う」と言う気持ちを持てと、住職は言う。
その「気持ち」「姿勢」をいつまでも持ち続けて欲しいと、住職は言っていた。
良い事を教わった、人生の教訓としよう。
住職は話を聞いてる私に対して、良く聞いておけと、人間皆「金持ちになりたい、事業で成功したい」と、願うものだが、そうではなく「自分の夢を」叶えようと思えと、言われた。
もう一つは、人から褒められる人間よりも、人を褒める人間になれと、教えられた。
人を褒める為には自分自身が「夢」を持った人間にならないといけない、と。
まだお前には、難しいとは思うけど、人生で必ず「壁」にぶつかる時がくる、そのぶつかった時に「夢」を持っているのか、いないのかで大きく人生が変わる、代々我が寺に来て、相談される人の話は「何の為に働き、仕事に何の喜びも感じない」という人間が多い、代々何百年も皆が言ってる事だ、本堂に書いてあるだろう「夢」に向かって生きろと、どんな些細な夢でも良い、その「夢」を持っている人間は、一目見れば分かる、それは明るく笑顔でイキイキしていると、住職は言います。
貧乏は辛い、でもその辛い貧乏も「夢」を持って生きていけば、又楽しくなる。
あそこの親父を見てみろ、お前にはどんな親父に見える、感じるがままに言ってみろ、と。
あのおじさんは、いつも楽しそうだよ、ニコニコして仕事しているよ、と言いましたら。
お前もそう感じるか、あの親父には近々「孫が」生まれる、その孫の為に美味しいものを、作ってやろうと考えて、毎日働いている、あの親父は貧乏だけど、生まれてくる「孫」の為という夢がある。
どんな小さな「夢」でも持てば、楽しい人生になる、覚えておくようにな。
人生において、皆んな死ぬ時に、この言葉を言えるかだ「終わり良ければ全てよし」
そういうものかな〜。
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