啓発(死ぬのは皆同じ、早いか遅いかだけだ)
ここに1通の手紙があります、この手紙はこの前このホームページに書きました、青年の手紙です。
この手紙には、こんな事が書いてありました。
私は先生に知り合えて「仕合わせな日々を過ごせました」残りの人生に悔いはありません、ただ「恩返し」が出来なくて悔いが残ります。
私の人生で一番楽しかった事は「高知県に行って皆んなで美味しいカツオの叩き、トロカツオを食べた」事が人生で・・・。
美味しかったな〜「皆んなでワイワイ食べて楽しかった」もう一回食べたいなぁ。
私は仕合わせな日々を過ごせたけれど、非行に走る子供は、皆んなが皆んな誰かに認めて貰いたいからだと、聞いていますから、この子供達を面倒みてあげたかったなあ、と彼からの手紙の一部です。
高知県出身の厚生省勤務だった 村木厚子さんがこんな事を言っていました。
「女性で薬物を使う人っていうのは暴力の被害者だっていうことがすごく多いとか、売春もやっぱり誰にも優しくしてもらえないから、そういう仕事で知り合っても誰かが自分を求めてくれるというのがすごく嬉しいとか、そういうことがあるって聞いて。
やっぱりこれは、子どもとか若い人を救えていない、困っているのを発見できていないから、みんな追い込まれているというのがすごく実感としてあったので」(村木厚子さん)
「困窮している人には共通点がふたつある。ひとつは複数の課題、複数の困難が重なった人であること。もうひとつは社会とのつながりが切れている人である。悪いことをして刑務所に入れられた人って見えた彼女たちが、実は大変厳しい困難が襲いかかってきた人たちであることが、だんだん自分にも見えてきましたと。
自分が窮地に追い込まれたから「やっと気が付いた」ともね。
彼はどうしてもやりたい事があったと言っていましたからね、自分が窮地に追い込まれた経験があるから「その窮地から抜け出すには・・・」その経験を活かしたかったんでしょうね。
家の住職が言うには、自分の1番の理解者は「自分自身」だと言っていました。
高知の住職から聞いた言葉を、青年は忘れない為に「壁に貼って」いつも見ていたみたいです。
風水は「陰陽五行説」に関係していて、己の「運気」が左右されるからと、季節を大切にしていたみたいです。
季節感は「風水」では1番大切ですからね。
季節の食べ物も大切なんですね。
この季節のモノを大切にすれば「流れ」が良くなるんですね、流れとは「気」の事です。
「気」の流れが良くなれば、全てのモノが良くなるんですね。
住職が言うには上記の彼女も「気」の流れに負けて、とんでもない連中に巻き込まれたんだと、ただ彼女の『気』が強かったから、助かった。
また仕合わせ(幸福)になりたいのなら、決して「人のせいにしてはいけない」と教えられた。
自分の周り(自分の目の前の)の仕合わせに気が付かない事は、自分を分からないからだと教えられた。
私は仕合わせな人間だなと思う事が、その人間を仕合わせな世界に連れて行ってくれるんだと。
風水とは流れに逆らう事なく、自然に流れに任せて流される事だと言っていました。
何だか簡単なようですが、そうではないです、簡単に見えるモノ程、難しいと言われています。
人の悪いところや嫌なところを見るよりは、人の良いところを見るようにする事です、良いところより嫌なところについつい目がいってしまうと皆さんは言います。
そうなんです、例えば、人の為と思いやってあげたら「成功したら」その人は、決してそのやってくれた人を「褒めたり」しないのです。
逆に「悪口」を言われたりします。
それは如何してだと思いますか。
簡単に話をすれば、こんな事があったんです。
隣の家とその隣の家が、土地の境界線で揉めていた、どうしても中に入って納めてくれないかと、頼まれた、しぶしぶ了解して仲裁に入って、双方が納得して和解した、目出度し目出度しで事が治った、何日かして納得した一人がその両親に「アイツに強引に納得させられたと」報告した。
その両親から「うちの息子と隣の家の人間の間に入り」強引に納得させておさめたんだってと。
話がこんな風になって、世の中を走っていました。
世間というのはそんなモノだと、家の住職は言います「それは己を蔑まれ(さげすまれ)ないように」する為だと。
世間はアイツに面倒見てもらったのかと言い、その人間を見下すからだと。
上記の村木厚子さんも同じようなことが言えますね。
今まで一生懸命仕事をして「周りに気を使い、おべんちゃらを言い、敬意を払って」人生を走って来られて、周りの人間から「嘘で固められた証言をされ」たまたま無実だと分かったから良かったけれど、また今の世の中「世間」というモノに助けられた。(世間が黙っていない)
自分が窮地に追い込まれ「闇の中から、見たモノ」が困窮している若者であった、だから今は若者を救いたいと一生懸命に活動している。
活動の仕方が人それどれ違うんです、スポーツで次の世代を育てるやり方、年寄りを面倒見るやり方、障がい者の為に一生懸命やるやり方、色々有りますからね。
一概にはどれが良いとは言えませんけど、その人間が満足したやり方が一番だと思います。
やるならトコトン最後までやって貰いたいです、IPSの山中先生にお金を寄付して満足するのも良いやり方だし本人の満足の仕方です、満足で究極の満足はないのです。
それは自己満足というみたいです、早死にしたからといって悲観するなと言います。
人は死ぬのは皆同じ、早いか遅いかだけだと、一番大切な事は「死ぬ時までに」己が満足した最後であるかだと。
住職は良い事言いますね。
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