啓発(行っていれば・・・)前回のスーちゃんの事が余りにも強烈すぎて、中々文章を書けませんでした。ここで書いとかないと、後であの時書いとけば良かったと思うといけないので、今回は全て書かせて貰います。昨年「北の国から」の演出家富永卓二(私とは親戚になる)が亡くなった、その葬式に朝早くから私は出席して最後の最後までご一緒させて戴いた、どのような事が有っても来なければいけない人間が来なかった、そこで私は其の人間の所属事務所に連絡して彼に会って話をした、その彼とは(岩城滉一)である、私の第一声は「富さん亡くなったよ」と彼に言ったら、彼は「知っているだから花を出させて戴いた」と真顔で言った、「あのねアンタ(岩城滉一)知っていて葬式に出ないのちょっと違うんじゃない」と言うと、彼は(岩城滉一)「えっ」という顔をしていた、何故ならフジテレビの社員で富永卓二は「北の国から」が放映される5年も前から企画等をやられていた。倉本聰脚本家に、映画「キタキツネ物語」の大ヒットにより、同じようなものが出来ないかと相談し、富永卓二(フジテレビ)と倉本聰の話し合いで企画が完成した。
1980年に富さんから私に呼び出しがあり、「今度北海道の富良野で倉本聰脚本・連続ドラマ(北の国から)をつくる、放映は81年からだ。」前に岩城滉一がTBS(弟よ、高倉健主演・倉本聰脚本)で準主役の時(銃刀法違反)で逮捕されその作品がボツになり、それ以来高倉健さんはテレビに出演されなくなった。今回も主演は高倉健さんで台本をお書きになっているが、高倉健さんは出演してくれない、大変困っている、倉本聰さんは高倉健、岩城滉一がお気に入りで北村草太という役が出来上がっている、君の友達の岩城滉一がもし何か問題でも起こしたら、フジテレビとしたら大変困る、そこで君を「北の国から」に出演さそうと思い、倉本聰さんにお願いしたら、オーケーが貰えない。何とか君を入れようとやっているが倉本聰さんは中々頭を縦に振らない、制作、企画、全てフジテレビでやるのだが難しい。結局私は出演する事が出来なかったけど(富さんに芝居出来ないですよ)と言うと、富さんは「岩城より芝居が出来ない人間はいないから心配するな」と言われた事を覚えている。富さんは岩城が北海道富良野に来ている時とか全ての事に於いて、私と岩城が友達だから一緒で監視していて貰いたかったみたいです。そんなに苦労して岩城滉一を「北の国から」に出演させた恩義ある人間が「亡くなった」その葬式に何故「出ないのか」と言った、岩城滉一(国籍・北朝鮮・インターネットに出ている)とはこんな人間だなと思い其れ以上言うのをやめた、富永監督は性根の座った人だから、現場に口を出したりすると怒る、案の定倉本聰さんが作品に対し、監督富永さんに指示をしだした、当然監督はプライドを傷つけられ辞める、10作目からは監督は杉田成道に変わった。 ![]() それはそれで二人の事だから私がとやかく言う事ではないが、4月のスーちゃんの葬式には私と一緒に行くべきではなかったか。私が連絡して「電話くれと」と言っても知らん顔、それは無いだろう。葬式が終わり「一言」言いたくて会いに行った。
岩城滉一もそう時任三郎もしかり、良く考えて人生を全うしろよと。我が住職の言葉「村八分とは、人間が生きて行く過程(共同行為)には十の付き合いがあり、その十の付き合いで八つ迄は付き合わないが、後の二つはどんなに相手が憎かろうが付き合うという事だ、その二つが1.火災2.葬式これだけはどんなに嫌いで憎かろうが付き合わなければならないとの教えだ」と言ってやった。すると「行って挙げれば良かった」と言った。まあ許してやるか。このホームページを読んで下さっている皆さん、我が住職の言った事をよく肝に銘じて(共同行為で)お付き合いして下さい。「結婚・出産・病気・建築・水害・旅行・成人式(冠)・年忌法要」我が住職の言葉「人間皆死ねば全てを許される」であり、心から送り出して挙げよう。又火災をほっておけば全てに害を生じさせるぞ。その害にならないように二人(時任三郎・岩城滉一)気を付けて人生を全うして下さい。応援はしないけど「見ています」から。 |