啓発(人生疲れたと感じたら・四苦)
昨年は色々な方が私の所に来られました、大体の方はお疲れになったと、又何かモヤモヤすると言われます。 心の「荷物を・・・」下ろしたいみたいですね。 それは、毎日生きてこられた証ですね、皆んなそうなんです、その過程が積もり積もって自分にのしかかってきているのです。
自分とは自らを分かるから「自分」と言われるみたいです、その自らがなかなか分からないから「悩み・苦しみ・勉強し」日々過ごしているのですよ。
家の住職がこんな事を言っていました。 人には定めというモノが憑いてる、その定めを「悟る」事から人生が始まると。
お釈迦様は 我々人間に 四苦という言葉を与えられた。 四苦とは【生老病死】しょうろうびょうし 人としてまぬがれられない四つの苦しみ。すなわち生まれること、年をとること、病気をすること、死ぬこと。
この言葉はいくら偉い『人間で在ろうが』必ずこの 「四苦」を持って人生が始まると言われています。
だから悩み、苦しみ、笑い、怒り、人生を生きていくんですね。
どうしても「心の荷物を」下ろしたい、と言われている人がいます、その方にこう言いました。 貴女・貴方は、人と話したり付き合ったりした時は、あまりにも真剣に、又1から10までキッチリ考え、真剣に答えているからなんです、と。
普通(真剣に答えて)はそうなんですが、あまりにもその行為に対し真面目に真剣に答える、又〜しなければ失礼だし、〜に応えようといつも思い考えているからなんです。
机の引出しを思い出してください、引出しはモノを入れる時は「限度」がありますよね。 その限度以上に「モノ」を入れたらどうなります、当然はみ出して溢れますよね。
それと同じで、自分の「能力」以上に頭を使ったり、仕事をしようと考えたり、自分の体力以上に身体を動かして仕事をしたりすると、自分自身に対し、重くのし掛かって来るのです。
少し考え方を変えたらどうでしょう。 それは簡単に考えるのです、世の中の人は皆んな「自分」と同じで、必ず何らかの悩みや苦しみや怒りを持って、現在の人生を生きているんだと、そう思えば「心が」軽くならないですか。
住職は心の「荷物」の事を悪く考えてはいけないと、それは神や仏様やご先祖様が与えてくれた「ご褒美」だと考えるようにと、言っていました。
人が生きていく過程で、なくてはならないモノだと、その「荷物が」ないのが人間以外の生き物だと。
昔から「程々」にいう言葉があるように何処かで・・・。 何処で休んで何処で「手を抜く」のかです、いい加減な事をするのではなく、気を抜くのですよ。
気を抜くとは、リラックスして自分の考えている通りに、事を行うのです、嫌な事はやらなくていいのです。
この嫌な事を行うという行為こそが、自分を疲れさせているし、窮地に追い込んでいるのです。 毎日毎日の蓄積が自分の「お荷物」になっているのです。
この心の「お荷物」は重いですよ、体の疲れや頭の疲れは「寝て」次の日になれば、大体回復しますが、心の「疲れ」や「お荷物」は残ってしまい、なかなかスッキリしないのです。
心の「荷物」を外す場合の方法の一つは、1年の行事には必ず参加する事です。
その「行事」とは。 1年の初めの「お正月」です、2月は節分で自分自身をお祓いし、3月は節句で厄払いして、4月は桜で花見を祝い、5月は子供の節句で祝い、6月は薬草で餅つきをして、7月は田植えや夏野菜を植えてお手伝いし、8月はお盆で御先祖を敬い、9月は稲刈りで豊作を祝い、10月は神事で大祭を祝い、11月は仕事の感謝で自分を褒めて、12月はクリスマスで家庭を祝い、全ての行事に参加するのです。
些細な事で良いのです、必ず何らかの形で参加する事が自分に対しての「お祓い」でもあるのです。
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