謹賀新年(働き過ぎて体調を崩した)

 

明けましておめでとう御座います、今年は良い年になりますように祈願しています。

いつか神様が来て願いが叶うだろう、いつか神様が来て私の話を聞いてくれるだろうと。

私の所に話に来られた方がいました。

私はこんな言葉しか掛けられないですが、必ず良くなるようにいつも話を聞いています。(心を込めて)

 

今は辛いでしょうが、もう直ぐそこまでいいことが来ていますよ、太陽が昇る如くそこに昇りますよ、もう少し我慢していたらきっといいことが来ますよと、言いました。

 

後は自分で考え行動するのです、自分の感じた事を大切に、次の事を考えると必ず願いが叶うと教えられています。

 

貴女は今何を考えて、何をどの様に変えて、どの様に生きたいのか、皆さんは自分で考えるんですよ。

何をしたいか、どう生きたいか、どんな人生にしたいか、どんな仕事がしたいのかを、考えることが大切だと、話してあります。

 

又自分に劣っているモノは何か、自分の優れているモノは何かを知ることが大切で、自分自身を知る(分かる)ということが一番大切なんだと、言いました。

又自分に劣っているモノが分かったら直ぐに補うんですよ、と。

 

家の住職は 人間落ち込んだりしても、そんなに短期にことを急いだり、腹を立てたり、さみしがったり、怖がったり、していたら楽しさが遠ざかると、昔からの言い伝えですと。

 

いい人生を全うできないから、1日、1日、起こらず、恐れず、悲しまず、おごらず、人生を過ごす様に言われています。

毎日マイナス思考でいると、その不思議な強い力を引き出せない、強い判断力と精神力が常に必要だと住職は言います。

貴女は貴女の生き方をする事、必ずこの世に価値がある人間だから、必ず貴方を必要とする時がある、又認められる時が来ると、必ずね。

 

自分が見た自分と、相手から見た自分との違いに気がつく事が、一番大切だと、言われています。

なかなか自分の事は分からないし、又分かろうとしないですからね。

 

それが、他人の事より自分を優先させ、周りから「自分の事しか考えない人間」だと言われても、自分の事が、こんな人間だと分かればいいんです。

 

分かって気をつければいいんです、例えば、彼女に「私のことちっとも見てくれないし、自分のことしか考えない」と言われてからでは、遅いのです。

 

家の住職は、私が小さい時に「己が利益を受ける前に、相手に利益を与えろと、それが己が仕合せになる早道」だと、言っていました。

 

又、人に対して何々をしてあげた、だから私に何々をして欲しいと「見返り」を期待してはいけないと。

国会で問題になっていますよね、見返りを期待している事が、昔から当然の如く有りましたからね。

昔から人に対して「尽す(つくす)・愛や贈り物や思いやりを」人間は、何かを期待して行うんだと言います。

 

人に対して、言ってはいけない事は「相手に対して・意見をする事」何気ない意見でも、人間の心が「守り」に入るから、知らず知らずに「反発」してしまうのだそうです。(意見とは文句を言う事も同じ事)

 

自分の嫌な言葉を、人というモノは「拒否」してしまうのですね。

 

今、自分は何をすべきかをよく考えて「真っ直ぐ・その事だけ」に向かっていけばいいんです。

 

人の事など気にするようでは「リーダー」として、まだまだと感じるべきだ。(リーダーは嫌われるんです)

 

悪口や陰口や噂話、嫌われていても「自分は自分」と思い、あいてにする事ではない、相手がどう感じても「相手」の事だから、いちいち気にしているようでは、自分が見えないし目的を失うのです。

 

前にこのホームページで書きました「意味」を考えればいいんです。

今、何をすべきか「その意味」この彼女と「どうすべきか意味」この会社で「何をすべきか意味」色々あります「意味」を考えるんです。

意味の語源は「意ー立派な人が見るのは心」立ー見ー心と書いて意と言われている。何となく似ていますよね。

 

吉田松陰先生の言葉

俗論の見る所はの上なり。君子の論ずる所はなり。

普通の人が見るのは形である。立派な人が見るのが「」である。

人は肩書きや外見や持ち物(お金)でその人間を評価してはいけない、「心」が輝いているかだ。

それは間違った事を、言っていないか、本当の事を言っているかが大切だと。

 

これから何をすべきかよく考えて、行動をする事、と言われています。