リーダーシップ(常に人の事を考えている)
先月、昭和の最後の横綱・輪島博氏が亡くなりました、面白い横綱でしたね、私は大変お世話になりました、アルバイトで運転やらマネージャーをさせて頂きました。
色々んな人を紹介してくれたし、知り合いましたね、当時の横綱は大変なものでしたから。
ただ横綱は、子供の時からの「帝王学・躾けですかね」を学んでいないから・・・、どの様にお金を使ったり、蓄えをしたりする事が分からなかったんです、一瞬にして大金持ちになったけど、そのお金が何処に使ったのか分からない位、出費しましたからね。
誰も教えてあげる人が居ないし、教えても言う事を聞かないですからね、現役の時はお金は使っても使っても入って来ましたから、そのままの調子で引退後もお金を使いましたからね。
一回優勝したら「最低1000万円」は入りました。14回優勝したから・・・ですよね、でもそれだけではないんですよ、色々タニマチから呼ばれて「ご祝儀」を貰いますからね、それが大きいんですよ。
そんな「ご祝儀」は湯水のごとく消えてしまいましたね。
石川県七尾市でお父さんは「床屋」をやって居ました、その「お父さん」はそんな事(大金が入っている)は知らないですからね、貰うばかりの「ご祝儀」が何処に消えたのかね。
「天真爛漫(らんまん)、天衣無縫、そして相撲の天才」力士時代から親交があった元NHKアナウンサーの杉山邦博氏は言っていました。
無邪気な大人と言う事ですね。
高知県出身の「荒瀬関」も相撲を辞めて親方株を手に入れて、安い給料で部屋付きの親方をやっていました、そんな部屋付きが馬鹿らしくなって辞めたんです。
その辞めた「親方株を」2代目若乃花に売ったんです。
そのお金でタレント事務所を開業して、一人の「歌手」を本格的に売り込み、ありとあらゆる方法でやったんですけど、ダメでしたね。
親方株を売ったお金は「消えて」しまい、自らタレントとしてテレビ出演したりしていました。
そんな時に体調を崩し「入院」したんです、退院してから「一回めの心筋梗塞」でしたね。
その時、私は高知県で生活していましたから「荒瀬に、高知に帰って来い」と言って高知県に帰る事を進めました。
高知県に帰って来ました、一年くらい生活していたら「少し調子が悪いと言って」入院しました。
何日かして病院で二回目の「発作で」亡くなりました。まだ若かったですがね。
少しして初代貴乃花も亡くなりましたからね。
当時大変お世話になった、お相撲さんが亡くなりました、魁傑、龍虎、荒瀬、貴乃花、輪島、北の湖。
今の相撲界は皆さん知った人はいないです。
魁傑(本名・西森)さんて凄い人でしたね、インターネットにも載っていますから見て下さい、何が凄いか、大関出身で相撲協会の理事長になり、八百長問題で相撲取りを解雇した、人を辞めさせたんだから、自分も理事長を辞めたら(相撲博物館・館長に付くのです)全ての職には付かないと、相撲協会から一切身を引いたんです。
皆さん出来ますか、人を辞めさせた責任を取り「自分自身を辞したん」ですよ。
凄いなと思いました、誰でも出来る事ではないです。
私は、魁傑 さんが理事長を辞めた後、一緒に「ゴルフ」をやりました、残りの人生楽しくやろうと言っていました。
皆んなが亡くなり、葬儀に行って帰って来るのを住職が見ていて、私に一言「早死にする人間は、休むのが下手な人間だから」と言われました。
え、と言う顔をしていたら、又一言「世間の目を気にする人間」は長生きできないと。
何かをやっていないと気になる、家の人間や友達や親戚や隣近所の目が気になってしょうがない。
とにかく何かを「やらないと」落ち着かない、だから終わったら「キチッと休みを取る事が出来ない」ダラダラ何をしているのか分からないけど、ただ出かけたり何と無く体を動かしている。
こう言う人間は「早死にする」と、教えられた。
言われてみれば「何をしても」目的を持たないと「体の疲れが」取れないと感じる。
ここまでやったら「ここで休憩して」又ここから一生懸命やると、線を引く事が大事だと分かった。
早く分かれば皆んなに「教えて」あげたのに、私達もこれからは一区切りつけたら、休養して何処かに遊びに行く事を考えるべきですね。
外人さんは「何で良く休んで遊んでいるのか」いつも思っていました、半年働いて半年休養する、何でこんなに遊んでいるのかと、面白い人種だとね。
それは「常に自分の事を考えて、休みを取り」自分が一番と考えているんですね。
今は日本人も休養を取るようになりましたが、我が家(寺)では「何百年も前から休養」をとっていましたね。
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