リーダーシップ(危機管理も同じ)

 

今年の夏に入る前に問題が勃発しました、日本大学のチアガール部の監督から選手に対しての・・・何でこんなに放ったらかしにしておくのかね、私なら即答で双方を呼び出し、何が原因で何が問題なのかを真剣に聞き、双方に対し公平・公正に話をし双方が納得するようにしますけどね。

 

問題が明るみに出てから、部長から辞める旨の話があったけど、遅いと思います、何でもかんでも受託するなと言いたい、何故なら「己の器量」を知るべきだ、自分を分かっていない人間が多いですから。

 

危機管理の分かる先生や分かる人がいないんですね。

皆んな綺麗事を言ったり、責任問題をやりたくないんですね。                              

 

又誰も引き継ぎ手がいないので「危機管理」の教員の私に話が来たんです、この時点で何らかの問題があったかもね。

 

大学のチアガール部の問題ですが、正確には2年前に当時の監督・部長のW氏から部長を引き受けてくれないかと話があった、上司に相談して返事をしました。

 

教員のトップは学長、事務のトップは理事長ですから、話をしましたら「チアガール部」はOBが全てを牛耳っていて意見を言えないとのことでした、当然お断りしました。

 

前回書きました、意義(価値・重要性)は、ことの重要性を分からせる事から指導するのです。

現代人にはこの一歩から話をしないと、何が大切で、何が重要か、何の為の学生生活かが分からないからです。

 

当然チアガール部の生徒・コーチ・監督には上記の事は話しますし、啓発もします、全ての事象や物事の道理を分からせてから、次の段階に進みます。

 

段階をおって進まないと「アメリカンフットボール部の様に学生が・・・」先ず第一に学校は、学生の事を考えます、何が原因で何が悪いのかを考え、即答して事にあたるのです、どのスポーツも同じです、全ては時間との戦いみたいなものです、後は担当の「先生の器量」でしょうね。

 

自分に於ける「意義」とは何だと思いますか、人それぞれですから、自分の「意義」を見つけるのです。

 

家の住職から教わった「意義」とは、「夢」を見ろと言われた=昼に見る「夢」は希望や、成功する事や、健康になる事や、好きな人と添い遂げる事や、金持ちになる事や、色々な夢を見る、と。

 

昼に見る夢とは違う夢を見るのが夜の夢、夜に見る夢の方が、あまり良い夢を見ないから、しっかり覚えておくように言われた、でもたまに見るのが「正夢」かな。

 

住職からは、良いか「を見て、明日の事は考えるな」それが人生を生きる良い生き方だから、常に現実を見て考えて生きろ、と教えられた。

 

常に日頃から「危機管理」を考えておくことが大切だと、その時になってからでは「良い考え」が浮かばないしパニックになる、家庭に於いても「事故や人災や天災やあらゆる危機を」想定して話あっておくことが大事だと、教えられました。

 

簡単な例を上げますと、一歩外に出た所で「自転車にぶつけられ」足を骨折させられた、この時の対応は「ぶつけた自転車の人間の確保をして」直ぐに警察を呼ぶこと。

今は、もし逃げたとしても「防犯カメラの設置」がありユーチューブで映像流せば・・・。

逃げ得は現在は有りえない。簡単な様で中々出来ないのです、誰かに言われて、後で気がつくのです。

 

こういう事を、常日頃からやっておく事です、事が起きてからでは先ず出来ないのです、それは誰でも「焦って」現実を見られなくなるからです。

 

何十年か前に、我が家(高知県土佐市に住んでいた時)では、家の前が海岸ですから「津波」が来た時の事を想定して、いつも子供達には「津波が来たら人の事や家の事なぞ考えないで、に逃げろ」と教えて有りました。

 

家には「犬が『ラブラドール・名前はレナ』いました」鎖をつけて居ないから、もし津波が来たら山に泳いで逃げるから大丈夫だと、山にはいつも散歩で連れて行ってありますから。

日頃から前の海で夜に庭から脱走してよく泳いでいました、漁師の叔父さんからいつも教えてもらっていました、「レナが脱走して泳いでいるぞ」と。

 

余談ですが、泳ぎが大好きでしたからね。昨年14日に亡くなりました、人間で言う90歳を過ぎていました。

16年生きました、大きい犬では大往生でしたね、大変助かりました、して貰いました。

 

こんな些細な事ですが、日々の訓練ですし、何気無い普段の行動や講話(分かりやすく智していました)を話していましたからね、この何気無い事が、津波が来て避難をする時に役に立つのです。

 

何処にいても、何をしてても、自分の「」は自分で守れと、口を酸っぱくして言って有ります。

 

この事は我が家「お寺」に何百年も伝わる「家訓」ですからね。だから何百年も「家の宝物」は守られています。