白洲次郎⑮
敗戦処理で日本人を「何が何でも『奴隷』に」する訳にはいかないと、考えていたと言います。
死を覚悟して交渉に望んだと、それが亡くなった戦死者や国民に対する「償い」で、あるからだと言います。


何百万もの国民が亡くなり、その戦死者に対し、俺は何をすべきか、又どうすべきか、いつも考えていたと言います。
その結論が「皆が浮かばれる様」に、日本国家の為に、死に物狂いで働かせて貰う事が、国家が栄える事だと思った。
銀座の骨董店に呼ばれて行った時に、この銀座自体が殆ど在〇〇〇人が占有していたという。
この隣の住人は、戦争が終わり帰って来たら、他人に土地を奪われていたんだという。
今いるこの場所も、家や土地を取られていたが、俺がGHQを連れて来て、在〇〇〇人を追い出して取り返したと、言っていました。(戦後のどさくさに紛れての行為だったと言います)

白洲次郎氏は、真剣な顔して話をしていました、それは日本人は皆「武士は相身互い」の考えや思いを、常に持っているから、困っている人間や助けて欲しい人間には、常に優しい心で接すると、況してや人様の住んでいる土地や住んでいた家や土地をどさくさに紛れて奪う、そんな事は何が何でもやってはいけない事だし、やらない事だと言われた。
それは、唯日本人であるというのではなく、身体の奥底から根底(性根)から、これが日本人であると、いう事をコンコンと教えられたんです、この話の根底に存在するのが「サムライ・侍」なんだと思いました。
この時代(明治・大正)で、日本人の「侍魂」が、ずっと浸透していたんだと、言われたんです。
「義」「礼」「智」「信」「忠」「孝」「悌」で、これに「勇」を加えたのが「武士道」だと言われたんです。
侍🟰静の精神を持ち合わせている事が、武士道なんですね、それは「死」を恐れないと言う事なんですよね。
本当ですよね、相手が死を恐れないできたら、恐ろしいですよ、どうする事も出来ないですからね。

ある御仁が、私にこの様に言われました「どの世界でも、相手が命を捨てる覚悟で来たら」どうする事もできないと、それは相手の顔や態度を見れば分かると、こいつは「死ぬ」覚悟できたなと、其の時の目を見たら分かると言われた。
でもな、捨てる命を少しでも躊躇すれば、こちらが「勝てる」からなと、笑いながら言われました。

躊躇とは「侍の世界では、『隙』」を見せると言う事だと、言われたんです、そうか「隙ね〜」難しいですね。
猪突猛進の世界で突き進んで来られたら、どんな事があれ負けるとね、何が何でも隙を見せてはいけないと言われた。
それは相手の目を見て、目を離さず相手に向かって突き進む(話しをする)事だと、教えられました。
白洲次郎氏は、戦後の敗戦処理交渉を、相手に「隙」を見せず、又目を離さず、ずっと相手の目を見据えたまま、交渉をされたと聞きます、出された飲み物には目もくれず、少しの休憩であれ気を許さず、相手を見ていたと言います。
命を捨てる覚悟での交渉ですからね、その相手は、たまったものでは無いですよね、特攻隊員の如くですからね。
アメリカやソ連(ソビエト)の人間が交渉の席で白洲次郎氏を恐れた、又怖がった意味がわかりますよね。
油断をせず、相手の目を見て気を許さず、猪突猛進の精神で相手と交渉する事が、相手に勝つ事だと言います。
自分の事なら「まあいいか」と思うだろけど国家や国民の為となると、妥協する事は出来なかったと言っていました。
常に交渉の場に付く時には緊張して、お腹が痛かったと、笑いながら言っていました。(わたし的には分かります)
前にこのホームページに書きました「坂本○一氏」の、思いを再度見て頂きたいのです、誰でも人生を永く生きたい。

坂本○一氏が自分の人生について発言したんです「本人は、自分の人生で何が間違いか」と、私に聞いたんです。
その時、前に書いてある通り「己が決めた人生だから、良し」と、すべきでは無いかと、私は話したんです。
坂本さんは、それでも、もう少し「時間・永く生きたい」が欲しい、欲しかったと、言っていました。

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